中学受験をご検討中の保護者の皆様、ご苦労様です。
マンガ『2月の勝者』では、様々な伏線が張られています。
その中で第4巻、伏線となっていた『星を拾っては投げている』活動について。
この伏線が、第13巻で回収されました。
黒木先生が無料塾『スターフィッシュ』を運営していたコトが判明します。
この展開…何かに似てない?と思った人はいませんか!?
そう!森絵都著の小説『みかづき』で出てくる無料塾『クレセント』にとても似ています。
2019年にNHKでドラマ化されたので、視聴された方も多いのではないでしょうか。

大政 絢と桜井 日奈子の制服姿がかわいかったなぁ!
いやー、個人的には岡本 玲がカワイイと思ったんだけどね〜♪…ってコラ!
高橋一生に永作博美、壇蜜まで…豪華キャストが勢揃いのドラマでしたね。
今回は、作中に出てくる二つの無料塾『(2月の勝者の)スターフィッシュ』と『(みかづきの)クレセント』について。
イロイロ比較し、共通点と相違点について検証してみたいと思います。
ちなみに、『みかづき』は中学受験の国語の問題として出題されています。
具体的な出題校と年度については、記事末に記載していますのでご確認ください。
では、行ってみましょう!
作品紹介
もし、ご存知ない方がいればと思い、軽く作品紹介しておきます。
「知ってるよ♪」って方は飛ばしてくださいm(_ _)m
2月の勝者
『二月の勝者』とは、中学受験を塾講師の視点で捉えた人気漫画。
中学受験をご検討中の方々ならば、(読んだコトはなくても)一度は聞いた方もいらっしゃると思います。
もちろん、私は愛読者です(≧∀≦)
物語の舞台は東京・吉祥寺の中学受験塾、桜花ゼミナール吉祥寺校。業界トップの合格実績を誇るフェニックスをやめ吉祥寺校の新校舎長に着任した黒木蔵人は、「トップ校とされる学校群『御三家』の合格者がゼロに終わった『残念な校舎』の『テコ入れ』をする」ために来たという。
今回取り上げたい内容は、黒木先生が立ち上げた無料塾『スターフィッシュ』です(^o^)
みかづき
こちらは、親子三世代に渡る壮大な話になります。
大島吾郎が赤坂千明に誘われて立ち上げた千葉進塾。
孫の一郎は千葉進塾は受け継がず、自ら貧困家庭のための無料塾を立ち上げるという展開に。
1961年、千葉県習志野市の小学校の用務員だった大島吾郎は、学校で私的な勉強会を始めていた。そこに来る児童のひとり、赤坂蕗子に吾郎は非凡なものを認める。蕗子の母の千明は、文部官僚の男との間に設けた蕗子を、シングルマザーとして育てていたのだった。千明は吾郎に接近し、2人で補習塾を開くことを提案する。2人は結婚して近隣の八千代市に塾を開き、着実に塾の経営を進めていく。吾郎はワシリー・スホムリンスキーの評伝を書き、2人の間に娘も2人生まれ、千明の母の頼子も塾にくる子どもたちの成長に心を配る。しかし、2人の塾経営をめぐる路線の対立が起き、吾郎は家を出る。
千明は塾を進学塾にし、津田沼駅前にも進出して、地域の有力な存在となってゆく。千明の長女の蕗子は、母親とは離れ、一時期連絡も絶ち、夫とともに秋田県に住み、公立学校の教員として、塾とは違う形での子どもたちとの触れ合いを追求する。次女の蘭は、塾の経営に関心をもつようになる。三女の菜々美は親に反抗し、外国の学校に行くなど、子どもたちの世代はばらばらな歩みをみせる。
夫の死後、息子の一郎とともに蕗子は実家にもどる。一郎は就職がうまくいかずに、蘭が経営する配食サービスの会社で配達を担当するが、その中で、貧困のために塾にも通えない子どもたちの存在を知り、そうした子ども向けの無料の学習塾を立ち上げる。その中で伴侶もみつけた一郎は、自分の中に流れる〈大島吾郎の血〉を自覚して、新しいみちを開拓しようとするのだった。
大きく3部の構成になっています。各部毎に、各人の視点で描写されているトコロがユニークですね。
- 第一部(第一章~第四章):大島吾郎の視点
- 第二部(第五章~第七章):赤坂千明の視点
- 第三部(第八章): 一郎(大島吾郎の孫)の視点
個人的に『みかづき』の一番面白い点は、物語の始まりに出てくる”瞳の法則”だと思っています。
小学校の用務員として働く大島吾郎が、放課後の用務員室で子供たちに勉強を教え始める…
そんなシーンから物語が始まり、読み手は物語の世界に引きずり込まれます。
AMAZONで試し読みできますので、是非!読んでみてください。
今回取り上げたい内容は、第三部(第八章)で一郎が立ち上げた無料塾『クレセント』です(^O^)
共通点:相対的貧困
二つの物語の背後で共通する点、それは『貧困問題』ですね。
相対的貧困とは
『貧困』の定義には2種類あります。
- 絶対的貧困
人間の生活維持に関わるレベルの貧困。 - 相対的貧困
食うには困るほどではないが、周りと比較して同じレベルで生活できない世帯で、世帯収入が平均的な収入の半分以下の世帯を言う。
近年、日本では後者の『相対的貧困』が問題視されています。
作中(二月の勝者 ―絶対合格の教室―(13) (ビッグコミックス))で出てくる子供たちも、表面的には貧困家庭に見えづらい現状があるようです。
- オシャレが上手。コスメも100均等で(格安で)手に入る。
- フリマアプリで上手に買い物をする。
- 贅沢品のスマホも、パート掛け持ちの母親が不在時の心配から他の予算を削ってまで子供に持たせる。
見た目には”普通のコ”に見えて、とても貧困に見えない子が一定の割合でいるのが現実のようですね。
相対的貧困の比率
では、子どもの貧困状態ってどれくらいの比率なのか?
2018年時点では13.5%。実に約7人に1人が貧困状態なんだそう。
コロナ禍で貧富の差が拡大する昨今。
相対的貧困者の実態数は、もっと増えているかもしれませんね。
ここでの問題点は、世帯収入が低いのに加え親御様が労働に時間を取られるため、子供と共有する時間が少なくなってしまう点じゃないかと。
子供は放置状態となり、親の帰りを待つ間…スマホやテレビゲーム等で時間を潰すのでしょう。
それでは教育格差は広がる一方。
そんな子供たちのために何とかしたい!という思いで立ち上げたのが無料塾…ってコトになりますね。
相違点:名前の由来
二つの作品の相違点…それはズバリ!名前の由来ですね。
名前の由来から無料塾の考え方の違いが見えてきます。
『スターフィッシュ』の由来
相対的貧困家庭の実態例として、以下のような描写が出てきます。
- 夜中に酒を飲んで騒ぐ親がいる家の中学生。
- 狭い1LDKで大家族の兄弟姉妹の世話を任される高校生。
以下、二月の勝者 ―絶対合格の教室―(13) (ビッグコミックス)で、黒木先生と佐倉先生の会話の引用になります。
その子どもたちは、親を思い、親に迷惑をかけないため、そんな境遇を周囲に黙っていることが多い。だから、なかなか気づくことができない。
そして何より、見つけられたとしても、必ずしも助けになるかはわからない。それが世の中を大きく変えられるわけではない。
(ここで、黒木が子供たちをヒトデ(スターフィッシュ)に例える)
…しかし、波打ち際に打ち上げられて干からびるのを待つヒトデを、自分の手の届く範囲だけでも拾い、海へ投げて返したい。
黒木がやっていることは、アメリカの自然科学者ローレンアイズリー「星投げ人」。
最後に、次の言葉を言い残して立ち去る。
『私の手が届く「星」を海に帰すのみ』
黒木先生にとって、貧困家庭の子供たち=スターフィッシュ。
(救済しきれるかどうかは置いといて)1人でも多く救済したいという思いなのでしょう。
『クレセント』の由来
『みかづき』自体の名前の由来から説明する必要があるので、とても長くなってしまいます。
ですので、別途機会があればご紹介したいと思うのですが…ここでは、『クレセント』の由来のみご紹介したいなと。
無料勉強会の名称を付けるにあたり、メンバー同志で案は出るものの決め手がない状態…。
『クレセント』命名の元になった由来として二つのベースがあるのではないか?と。
- 一郎と吾郎(一郎から見て祖父)との会話。
「無料塾を立ち上げたい」と一郎が相談した時に、吾郎が
「そうか、新しい月が昇るのか」と一言。 - 一郎と奈々美(一郎から見て叔母)との会話。
夜、2人で会話中に「窓を開けてみて」と奈々美。
「Look at the sky! Cresent」
海外生活が長かった奈々美の言葉にハッとした一郎。
以下、引用になります。
一郎 「おばさん。クレセントって会の名前にどうかな」
奈々美「クレセント、か。なるほど」
一郎 「なんかラフだし、バンドみたいだし、新しいっぽいし」
奈々美「うん、いいかもね。いかにも若い会って感じで」出典:みかづき (集英社文庫)
吾郎との会話がキッカケとなり、奈々美との会話で「クレセント」という名前に行き着いた様子。
この部分、前後の文脈が分かるとすごく深い意味になるのですが、うまく説明できなくてスミマセンm(_ _)m
詳しくは是非!単行本をお読み頂ければと。
こんな経緯があって『クレセント』と命名されたのでした。
なぜ無料塾に着目?
ところで、『なぜ無料塾に着目したの?』と思われたかもしれません。
このブログを読まれる方は、経済的にはきっと中間層以上の方が大半でしょう。
かくいう私も中間層の1人です。
注)決して富豪ではありません!!
でも、中間層にいられる理由は何なのか?
- (親ガチャで)親が経済的に中間層以上だったから?
- 自分自身が学歴社会で生きてきて、就職戦線を勝ち抜いた(転職に成功した)から?
- 会社で理不尽な事があっても、辞めずに仕事を頑張ってきたから?
自分自身、何かが欠けたら貧困層だったかもしれないし、結婚も出来なかったかもしれない。
そうすれば、子供も持てなかったかもしれないし、子供に満足な教育をさせてやれなかったかもしれない…
うまく表現できないけれど、今が今でいられる状態を幸せだと思いながら、この記事を書いています。
世の中には、『ウチの子は出来が悪くて…』と吐露する親御様がいます。(ウチも含めて(^_^;))
でも、今の状態でいられるコトに感謝する必要があるんじゃないか…という思いです。
『みかづき』を出題した学校
『みかづき』は、下記の学校で出題されています。
ご参考ください。
- 2018年 開智中学校
- 2018年 常総学院中学校
- 2018年 筑波大学附属中学校
- 2018年 明治大学付属中野八王子中学校
私自身が目を通したのは、明治大学付属中野八王子中学校の問題。
やはり、第八章『新月』のパートから出題されていました。
『本当の教育とは何なのか?』について考えさせられるパートですが、学校側もその点を意識して作問しているのではないか?…と勝手に解釈しています。
教育は、子どもをコントロールするためにあるんじゃない。不条理に抗う力、たやすくコントロールされないための力を授けるためにあるんだ。
出典:みかづき (集英社文庫)
作中で出てくる上記の言葉に、胸を打たれた思いでした。
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